西日本豪雨から1年

甚大な被害をもたらした、西日本豪雨あれから1年が経ちました。被害にあわれた方々に改めてお見舞い申し上げます。 ねじ屋 由美です。

降り続ける雨

1年前、数日間雨が降り続き「よく降りますね」の挨拶から「大丈夫かな、被害出なきゃいいけどね」の挨拶に変わっていったのを覚えています。

あの夜の事

私の子供は、その時倉敷市在住。安否確認や被害が出てないかのやり取りをしていました。そこで聞いたのが、通勤道路や会社内の道路が冠水していた事。そして爆発があったと聞いた事。そうすると、友人などから爆発音がした!聞いた?とメッセージが来始め…そういえば少し前に車がぶつかるような音がしたなと…あのアルミ工場の爆発音はこんなに離れた玉野市まで聞こえていました。叔母が被害が大きかった真備町にいるので、爆発は大丈夫?とやり取り。「地震かと思った」「怖いから早く寝るわ。おやすみー心配ありがとー」との事でした。

一夜明けると…

朝起きてテレビをつけると…???真備町???ん?となかなか理解できず。我に返って、叔母は?大丈夫?とすぐ連絡を取りました。叔母宅は幸い被害がなかったものの、徒歩5分程の所から被害が出ているようでした。でもその後は全く連絡の取れない状態に。

その日は弊社の経営計画発表会でしたが、中止となりました。

助け合い

やっと連絡の取れた叔母から悲惨な現状を聞きました。
ライフラインの寸断、悪臭、土ぼこり。そして大切な友人が何人も亡くなった事。体力だけではなく、精神的にもつらい様子でした。そんな状態でも、叔母は、うちは被害がなかったからと毎日避難所でボランティア活動をしていました。尊敬します。叔母も今回の災害で近所の人やいろんな人に助けられた!と言っていました。

お互いに助け合う心の大切さを改めて感じました。

人として、助けあう事があたりまえにできる人になりたいと強く思いました。

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